山本泰彦さんのこと。

今は記憶されている方も少ないと思われる神戸市の山本泰彦さんのことを知っていただ
きたく、1999年6月に開催された行仙宿小屋建設10周年祝賀会レポートからの引用を紹介
させてもらいます。


それらのスナップの中に、既に鬼籍に入られたメンバーたちの懐かしい姿も見出さ
れ、見ている人たちから「〇〇さんよ」「△△さんよ」と上がる声がそのたびにしてお
りましたが、この10年間に12人の方々が亡くなっており、祝賀会の冒頭に山上さ
んがその一人、一人の名前と没年月日を読み上げる中それら物故者への黙祷をささげ
たのでした。

特に小屋完成の2年後に43歳の若さで八ヶ岳で遭難死した神戸の登山家山本泰彦
氏が発電機を背負子にくくりつけて登山口の階段を登って行く写真には胸がつまるよう
な思いをしました。

玉岡さんと山で偶然出会っただけの間柄なのに、山本さんは玉岡さんの熱意にいた
く共感し、何十度と助っ人にやってきてくれ、彼の抜群の強力ぶりでどれほど多くの
重量のある物資が山上に担ぎ上げられたことでしょうか。
その突然の死を知った時の玉岡さんの激しい慟哭の思いを知っている私は、それらす
べてが思い起こされ、涙が出そうになったのです。

玉岡さんはその一周忌に有志のメンバーを引き連れて八ヶ岳に登り、山本さんが転
落死した場所にケルンを築いて追悼式をやり、一昨年の七回忌の折にも再度、追悼登
山をしています。

また関西に来る折りを利用しては神戸の山本さん宅を表敬訪問したり、3年前に芦
屋における山彦関西支部の忘年会に玉岡、山上その他何人かの新宮メンバーを招待し
たとき、山本未亡人も招くことを希望され、奥様が出席するという機会も作るなど、
亡き山本さんの恩義を忘れずに現在に至るまで奥様のことを常に心にかけ続けてこら
れているのです。